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「相棒」考察 右京にとっての相棒の存在価値-右京成長物語論-

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「相棒」考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

「相棒 season13」最終回ショックから漸く立ち直ってきました。
なので、少し冷静になってこれまでの相棒について考え直してみます。
杉下右京にとっての相棒達は、どうして存在していたのか?
彼らの"存在価値"にスポットを当ててみます。

「絶対的な正義」VS「大局的な正義」

右京は己の正義を貫く為ならば、全てを敵に回せる。
そういう刑事であるという認識を持っております。
時には警察という組織すら敵に回し、故に内村ら上層部に疎まれている。

そんな右京と唯一渡り合っていたのが小野田公顕でした。
小野田は基本的には右京ら特命を影ながらバックアップしつつも、警察や政府の威信を守る為ならば右京と対立する事すら厭わない。
必要とあらば極秘裏に捜査の依頼をするなど、良くも悪くも持ちつ持たれつというか。
互いに利用し合っていた人物だったと。

この2人の関係が、「相棒」の全ての始まりであると考えます。
そもそも特命係誕生の経緯から見ても、2人から全てが始まったというのは間違いない訳で。
右京が相棒を何故必要としているのかも、この2人から始まっているのではないでしょうか。

つまり、右京を警察が使い続けるには、彼の"正義"を抑制する存在が必要不可欠なんですよ。
放っておくと組織捜査に参加せずスタンドプレーを基本とする右京は、簡単に組織から弾きだされてしまうから。
右京の正義が暴走し、警察をも敵に回してしまうから。

右京に上手にブレーキをかける存在として小野田は存在し、そして小野田こそが本当の意味での初代相棒であると。
そう。
右京を刑事で居させるための存在。
それが最初の相棒の存在意義だったんだと考えます。

亀山薫

多くの部下が右京の前から消えていきました。
気付けば「人材の墓場」と呼ばれていた特命に薫が着任。
番組にとっての初代相棒の誕生です。

ではでは、薫は右京にとってどういう相棒だったんでしょう。
僕が思うに薫こそが、右京を1人の刑事にした相棒だったと。

今見返しても初期の右京ってとんがっている印象が強いんですよね。
冷静と言うよりも冷徹というか。
感情表現の起伏も少なく、今以上に自身の正義を貫く為に・真相を追及するためだけに行動しているような。

薫と一緒にいる中で、段々と人間味溢れて来たんじゃないか。
そう見ています。

そして重要なのは、右京に一定のブレーキを掛けられる存在だったんですよね。
小野田が権力を以て行っていたブレーキを、薫は情や優しさで右京の頑なな意思を崩し抑制を掛けるなんてこともありました。
相棒として薫と信頼関係を築くことで、右京もまた変わっていってました。
そう。
人間としての感情表現が豊かになった気がするのですよ。

薫が警察を辞め、右京の元を去っても、この変化はきちんと残ったままで。
その証左となるのが「season7」の後半だったんじゃないでしょうか。

薫が去り、たった1人の特命係となった右京。
尊が来るまでの間は、右京1人で事件に当たっていました。
時にはその場限りの"相棒"もいたりしましたけれど、彼らの存在が大事。
仮定の話ですが、もしも右京が薫と出会う前の状態だったら、右京はこの一時的な相棒達と折り合わずに、事件の捜査も文字通り1人で行っていたんじゃないでしょうか。
人間的に丸くなったから、一時的な相棒達とも軋轢を残さずに、事件解決まで持っていけた。


さてドラマの話から少し現実に戻しますと、寺脇さん降板頃から「水谷さん暴君論」が当たり前のように誌面を賑わせています。
曰く新レギュラーが決まれば「水谷さんが気に入ったから」。
曰く降板が決まると「水谷さんに嫌われたから」。

100%嘘だと断言は致しません。
本当の所は何も知らないから。
本当の所は何も知らないからこそ、これを本当だとも思いたくないんです。

及川さんの時も同じような論調の記事ばかりでしたけれど、実際は水谷さんと及川さんは今でも懇意の間柄というのだからメディアの記事は本当に信じられません。

つまり、ネットで報じられているような寺脇さん降板説はどれもこれも真実であるという確証は無い訳です。
だから…寺脇さんが「season7」の前半1クールで卒業となった本当の所は僕等は未だ知る由が無いと。

寺脇さんがs7で卒業されることはスタッフは当然承知だったのですから、「右京が1人の時」を作る意味って無いんですよね。
卒業をシリーズ最終話に持ってくるか、若しくは、すぐに2代目を登場させればいいのですから。
薫卒業から尊登場までに空白の期間を挟んだのは、「右京の成長」を表現する為だったんじゃないでしょうかね?

神戸尊

薫の相棒としての意義をこのように解釈すると、では2代目相棒である尊の役割はなんだったのか?
相棒無しでも、右京だけで自身の正義に一定のブレーキを掛けさせること。
これを可能とさせるために存在していた気がするのです。

尊の口癖と言えば「お言葉ですが」。
右京と意見が対立した際、反目する意見を述べる際、違法すれすれの捜査をしようとする右京を抑止する際。
尊は片手を上げて、右京に意見していました。
ことあるごとに右京を止めに入っていたんですよね。
その集大成となった「season10」最終話では、右京の正義感と真っ向から対立。

犯罪を犯してでも、右京の正義を止めようと…自身の正義を貫こうと尊が行動に出ました。

やはり昔の右京であったならば、それでも自身の正義を貫いていた気がします。
人間的に成長し、また、尊とぶつかり続ける事で、自分自身でブレーキを掛けられるようになったんじゃないかな。
尊の決意に折れた時、それこそ右京が自身の正義に歯止めをきかせる事が出来るようになった瞬間だったと解釈しています。


さて、こうなると言葉は悪いですが小野田の存在意義が消えるんですよ。
右京のブレーキとして尊が存在し、また、尊の力で徐々に右京自身がブレーキを踏めるようになってきた。
尊が相棒の時「劇場版2」で小野田が殉職してしまったのは、必然の流れだったのかもしれません。
個人的には小野田は今作に無くてはならないキャラクターであると思ってますし、好きなキャラではあるんですけれどね。
彼の死は非常に残念ではあるんですが、こういう風に考えてみると致し方なかったのかもなと。

甲斐享

右京が自身の正義に歯止めを掛けられるようになった。
ここに来てようやく1人の社会人として部下を持つに相応しい人間になったというと失礼でしょうか。

享は、まさしく相棒というよりも部下だったんですよね。
対等な関係では無いけれど、パートナーである。
そういう相棒だったと見ています。

では、右京の上司としての成果を示すのに分かり易い見せ方って何だろうかと。
ふと考えてみました。

享を一人前の刑事にする?
言葉では簡単に言えますが、表現するとなると存外難しいです。
確かに登場当初は刑事なり立てでしたから、一人前の刑事になったような描写が出来れば、それは享の成長となり、右京の上司としての成果ともなるでしょう。
けど、「一人前の刑事」って何?って話です。

1人で事件を解決する事?
いやいや、「相棒」という作品のコンセプト的にも、警察の組織としての捜査手法的にも反してしまいます。
右京を超える事?
例えば推理力で右京を超えるようになる事でしょうか。
やれなくないでしょうけれど、それはそれでなんか違う気がします。
捜査能力という点に於いては、シリーズを重ねていく毎に向上の様子が窺えたので、そこは確かに成長と言えるかと。
でも、それだけで一人前の刑事と言われてもピンときません。

僕が考える「右京の成果を示す最も分かり易い享の変化」は、右京がこれまで相棒にあって変わった事そのものなんです。

能力的にはピカイチでも性格に難があり、誰もついていけなかった右京。
自身の正義を暴走させがちで、小野田が何とかコントロールする事でどうにか警察に留まれていた右京。

過去2人の相棒と接する事で、これらを変化させてきた右京が、同じ事を他人に出来た時。
それが成果と言えるのではないでしょうか。

そこで、スタッフは享の性格設定に「熱い正義感」を持たせたんじゃないでしょうか。
右京の変化に於ける後者。
「享に正義の暴走の抑止を可能とし、コントロールさせる」。
これが右京が課せられた上司としての成果だったのではないかと。

「season11」初登場時から、享の正義は暴走気味でした。
時折、法で裁けない悪人に出会うと暴力を振るいそうになり、右京が身体を張って制止しておりました。

しかし、そんな右京の教育は通じなかった。
「season13」最終話はそういうお話だったと今となって考えられるようになりました。

上司として失格の烙印を押され、「上司だから」という理由で無期停職となる。
失意の中、それでも享を突き放すことなく、自分だけを悔いてロンドンへと旅立っていくというのは非常に感慨深いラストだったのかもしれません。

歴代の相棒によって「人材の墓場」と揶揄されていた右京が、1人の刑事として後輩を育てられる様な位置にまで来た。
けれど、現実は甘く無く、まだまだ右京はその位置に辿り着けていなかった。
享の逮捕は「相棒」らしい乾いた現実が右京を襲った瞬間だったのでしょうね。


シリーズ全体を通してこのように考えてみると、享の逮捕には理解出来るのです。
批判が大きかったのは、享がダークナイトだったという事実を最終回以外に臭わせなかったから。
やはり伏線は大事ですよ。

因みに、良く言われている「何故右京は享の犯行に今までずっと気付かなかったのか?矛盾してる」という批判は、僕は批判に成り得てないと考えてます。
正直「最終回までそんな設定(享=ダークナイト)無かったから仕方ない」と言いたいところなんですがw
そうではなくても、捜査もしてなかった事件の犯人が享なのではないかと疑いを持つ方が不自然です。

右京はダークナイトの存在と彼が起こした事件を新聞などから情報として知っていただけ。
最終回ではこれしか分かってません。
捜査はしてないんですよ。
若しかしたら、捜査資料に目を通していた位はしてたかもで、そうすると僕の論拠は音を立てて崩れていくのですが、そこまでもしてなかったのなら。
新聞の情報だけで享に目星を付けられる位なら、実際に捜査に当たっていた刑事たちが(いくら右京よりも劣るからとはいえ)享に辿り着けていたでしょう。
ここは足が付かない様(右京に悟られない様)、最低限の緻密な犯行を享が繰り返していた…故に右京は気づきもしなかったで通る話だと考えます。
いくら慧眼鋭いといっても、右京は超能力者じゃないんですから。
捜査に参加してない事件の犯人を見つけられはしないでしょう。

4代目相棒

最後の相棒となっても良い気がします。
自身の後進を育てるという意味でも。
改めて部下を育てられるという事を証明するという意味でも。

僕の考えからいくと、4代目は社というのはしっくり来ないんですよね。
メディアによっては社(仲間さん)は5代目とか唖然とするような説を唱えてらっしゃいますが。
社が4代目だろうと5代目だろうと、「部下」にはならないでしょうから、違う気がします。

それこそ享が超法規的措置とか何とか理由をつけて刑事に復帰、改めて相棒となり、今度こそ右京によって育てられていくとした方がしっくりします。

流石に現実離れしすぎて、有り得ない展開ですので、次の相棒はこんなのじゃないかという妄想。
右京のもう1つの成長面を継いだ存在が出て来るんじゃないかなと。

捜査能力がピカイチ。
推理力は右京に勝るとも劣らないが、性格に難がある若者。

そんな若者に振り回されつつも、右京が正しく導いて、性格を良い方向に矯正させる。
漸く部下を育てられる刑事になれたというところで、定年退職して幕引き。

基本右京目線での相棒卒業でしたが、薫達から見れば右京も相棒なんですよね。
シリーズ最終回は、相棒・杉下右京の卒業で終わらせる。

そういうのもアリなんじゃないかなと夢想してたりします。
長い妄想に最後までお付き合い頂きありがとうございました。